E'b vol.76
vol.76 地獄と極楽
物事の本質を捉えた人の受け答えは、シンプルでわかりやすいものです。先日、ママさんス
タッフに”思いやりとは何でしょうか”と問いかけました。すると”人からされて嫌なこと
はせずに、されて嬉しいことをするように”と子供には言っています。という答えでした。
”人に不快さを与えない、安心と喜びを与える”breathでは、思いやりをそのように定義し
ていますので、私はその答えにとても大きな、安心と喜びを頂きました。相手に何かを伝え
る際、今回のような”ひとことで簡潔に”と同様に私は”たとえ話で具体的に”ということ
も大切にしています。そこで今回は、あるお寺のご老師が思いやりについて、次のようなた
とえ話を説いておられたのでご紹介します。”地獄とはどんなところなのですか”と若い修行
僧に尋ねられると、老師は”あの世には地獄もあれば、極楽もある。しかし両者には想像し
ているほど違いはなく、外見上は同じようなところだ。ただ一つ違っているのは、そこにい
る人たちの心なのだ”と答えます。老師が語るには、地獄と極楽には同じように大きな釜が
あり、そこには美味しそうなうどんが煮えている。ところがそれを食べるには、一メートル
ほどの長い箸を使うしかないのです。地獄に住んでいる人は皆、われ先にと争って箸を釜に
つっ込んで、掴もうとしますが、あまりに箸が長く、うまく口に運べません。しまいには人
が掴んだうどんを、無理やり奪おうと争い、ケンカになり、うどんは飛び散り、誰一人とし
て口にすることはできない。美味しそうなうどんを目の前に、だれもが飢えてやせ衰えてい
る。それが地獄の光景だというのです。それに対して極楽では、誰もが自分の長い箸でうど
んをつかむと、釜の向こう側にいる人の口へと運び”お先にどうぞ”と食べさせてあげる。
そうやって、うどんを食べた人も”ありがとう。次はあなたの番です”と、うどんを取って
あげます。ですから極楽では、全員が穏やかにうどんを食べることができ、満ち足りた心に
なれるとの事でした。そのように言われて辺りを見渡してみれば、あの世に限らず、この世
においても同様に、極楽のような家庭や職場、または地獄のようなそれらも実在しているの
ではないでしょうか。だからこそ今、私に出来る事は、至らない自己を正し、一隅を照らす
事で、いい家風、社風をひたすらに築いていく事。それこそが私に与えられた使命に違いな
い。そのように思えてならないのです。ありがとうございます。
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