E'b vol.189
vol.189 役割を果たそう
十七歳のころ私はバイクで大きな事故を起こしてしまいました。片側一車線の田舎道
を直進中に、一旦停止を無視して横から飛び出してきた軽トラックと衝突して、前方
へと大きく投げ出されたのです。飛んでる間は一瞬の出来事のはずですが、私は心の
中で「やらかしたなぁ〜死んでしまうのかなぁ〜」とスローモーションで思いをめぐ
らせていました。バイクはぐちゃぐちゃのうえに、相手の車輌が横転するほどの事故
です。しかし幸いにして、私は飛んで行った先に電柱や対向車がなかったことで、救
急搬送された割には、かすり傷さえ見当たらないほど無傷だったのです。そして担当
の警察官が「何かに頭でもぶつけとったら大ごとやったよ」とこぼした瞬間に、私は
何か「大いなる存在」に守られたのかもしれないと直感したのです。
わたしたち一人ひとりに、この世に使わされ、命じられた役割があります。家族をや
しなう、事業をとおして人びとを幸福にする、社会の役に立つ仕事をする、まわりに
喜びを与える、大切な人に寄り添い支えるなど、それぞれの役割があるにちがいあり
ません。 (月刊「素心」第207号)より
私がこの出来事を、たまたま助かってラッキーと捉えるのか、何者かに守られたこと
に感謝して生きるのか。それは私個人の考え方次第で自由でしょう。若かった私は後
者を選んだようです。そうして「神」なのか「仏」なのか、あるいは「天」と呼ぶべ
きか分かりませんが、何者かに「生かされた」私には何か全うすべき「役割」がある
のかもしれない。私は当時からそんなことをぼんやりと考えるようになりました。限
られた命をどう使えばよいか、探しつづけて三十年以上がたちました。おかげさまで、
現在の私は「五十にして天命を知る」ことで充実した人生を歩んでいます。
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