E'b vol.117
vol.117 人間学を学ぼう(4)
私は32歳のときに「素直さ」を学ぶ学問である「素心学」に出会いました。経営者の徳をも
って会社を治めるという「徳治経営」の理念をそのときに学び、15年後の現在まで職場にお
いて実践中です。至らない自己に気づかされるばかりの毎日ですが、長年経った「今」過去の
私と現在の私の言動を比べてみると、少しづつですが確かな変化を感じれるようになりました。
以前の会社で店舗責任者として駆け出しの15年前の私は、スタッフから”結婚式に出席した
いので日曜日に休ませてください”と申し出があるたびに、長々と説教じみた言葉を並べて、
それを却下していました。その頃の私はそれが自らの職務だと信じていたのです。現在は少々
不都合な状況でも、快く希望を受け入れるようにしていますが、当時のスタッフに対しては、
大変申し訳ないことをしてしまったと後悔しています。今思えば、これは無意識のうちに「心
のクセ」である「自我」と「業」の意識が、過剰に働いた結果であるように思います。
自我の意識・・・・・自分とその他を区別する働き
業の意識・・・・・・過去の行為(経験・知識)をすべて貯蔵する意識
自我と業は生きていく上で必要な意識ですが、放っておくと必要以上に大きくふくらんで「心
のクセ」として人の思いに影響を与えます。この心のクセがマイナスに働いた私の事例として
は”サービス業の人間が、日曜日に休みたいなどと言いだすのはプロ意識が足りない。今まで
俺たちがやってきたことが正しいんだ”という思い込みが「業の意識」です。また”忙しい日
曜日に休みを与えたら売上が減るに違いない。責任者としての俺の立場はどうなるんだ”とい
う利己主義(エゴイズム)が「自我の意識」です。自我と業の意識は、それ自体決して悪いも
のではなく、生きていくうえで必要なものです。しかしながら放っておくとエスカレートしや
すく、心のクセとしてマイナスに働く性質があるのです。この意識をコントロールするのは、
簡単なことではありませんが、私達塾生は「心の置き所」をつかむことで「心のクセ」をうす
れさせ、心を素直にすることを目指しています。次号ではこの”心の置き所”についてお伝え
いたします。ありがとうございます。
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