E'b vol.112
vol.112 心の置きどころ
お客様と会話していると”怒ったりすることあるんですか”とよく尋ねられますので、お客
様から見て私は”怒りそうにない人”だと認識されているようです。予想どうり私は若い頃
から滅多な事で怒ることはありませんでしたが、20代の頃に上司からは”実は気が短いタイ
プやね”とよく指摘されていました。振り返ってみると30代の頃、私は些細なことで家内と
言い争いをし、思い通りに行かないことがあるたびに、小さな二人の子供を後部座席に乗せ
ているにも関わらず、無言で荒っぽい運転をすることで、イライラした気持ちをアピールす
るような人間でしたので、恥ずかしながら当時の私は怒ることさえ出来ない”器の小さい人
間”だったように思います。おかげさまで現在はそのような行動からはキッパリと卒業しま
したが、それが自身の未熟さによるものだ、と気づきはじめたのは40歳手前の頃でした。
そんなある日の出来事です。家内と口論した末に、家を飛び出すようにしてテニスに向かっ
た暑い夏、私はレッスンでコーチから、左右に振り回され無心でひたすらボールを追いかけ
ていました。限界まで体を動かしコートに倒れ込んだ時、私の頭の中は真っ白になりました。
そしてしばらく何も思わない状態が続いた後”今ならどんなことでも許せる”という思いが
心の中にハッキリと現れました。
何かに熱中していて「われを忘れる」とよく言いますが、ひとつのことに集中している
と、だんだんと「無心」になることができます。思考が停止し、なにも考えない、なに
も思わない状態が生まれるからです。 (素心学要論p125より)
あの日の心の状態を日常で保ちたいという思いから、それ以来私は禅的冥想に取り組んでい
ます。禅的冥想とは、ただひたすら心のなかで数を読み冥想することで、ひとつのことに集
中し、無心になる訓練です。おかげさまで以前に比べると、怒るということは勿論ですが、
イライラすること自体が、ずいぶん減ってきたように思います。これからも調身(身をとと
のえる)調息(息をととのえる)調心(心をととのえる)で心の置きどころをつかむことで、
どんな時でも周囲の人に不快さを与えず、安心と喜びを与えられるように成長いたします。
ありがとうございます。
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