E'b vol.104

vol.104 自己を忘れる


breathの2階で、朝8時から書道を習っています。腰骨を立てた正しい姿勢で、硯

に墨を落とし、半紙に小筆で先生のお手本を、ひたすらに書き写します。このあっと

いう間の1時間は、私にとって月に2回の喜びのひとときです。先日、その先生から

”作品展があります。何でもいいから、好きな言葉を書いて出展してみませんか”と

声をかけていただきました。そこで私は迷わず人生の師から与えられた、道元禅師

(1200〜1253年 日本曹洞宗の開祖)の言葉を書くことにしました。「仏道を学ぶと

いうことは自己を学ぶことである。自己を学ぶということは自己を忘れることである。

自己を忘れるということは、すべてのものごとが自然に明らかになることである」お

手本を書いていただいた書道の先生が”考えても考えても、難しいね”と仰るほどに

たいへんむずかしい文章ですが、意中の人は次のように解釈されています。

 人として正しい道を学ぶには、自分自身を見つめ、自己を正すことからはじめな

 ければならない。自己を見つめ、正すとは、素直になることである。素直になっ

 て自我執着からはなれることができると、なにものにもまどわされることなく、

 すべてのものごとがはっきりと見えてくる。     素心学塾 池田繁美塾長

私は、年に2〜3回は山に行きます。夜明けから日が暮れるまで、自然に身を置き、

歩きます。最初は”小指が靴にあたって痛いなあ”とか、仕事や家庭のことが、次々

と頭に湧いてきますが、ひたすら歩き続けると心地よい疲労感とともに、自ずと呼吸

が一定のリズムを刻み出します。また不思議と足の痛みも消えて無心になり、どこま

でも歩いて行けそうな感覚になることがあります。そのときの私の心は”どんな不都

合なことでも大きく包み込める”ような気がするほど澄み渡っています。これが自己

を忘れるということかは、まだわかりませんが「ものごとはただ理屈だけで考えるの

ではなく、自然のなかを無心で歩くことでその答えが得られるもの」と師は説いてい

ますので、これからもその答えを探し続けようと思います。ありがとうございます。

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