E'b vol.152
vol.152 業の意識
激しい痛みで目が覚めた朝、それは小学六年生の私にとって「苦難の一日」のはじま
りでした。少々の風邪では病院のお世話にならずに育った私が「お腹が痛い」と伝え
ると、両親は何かを察したように、珍しく近くの病院へ連れて行ってくれました。す
ると診断の結果は「ただの腹痛ですね」ということでしたので、学校を休んで家で安
静にすることにしました。痛みに耐える時間はとても長く感じるものです。そうして
苦しんだ末に「頼むから、もう一回別の病院に連れて行って」と両親にお願いしたの
は夕方でした。それからすぐに大きな病院に向かい検査をしましたが、結果は「急性
虫垂炎」ということで、緊急手術を行い一週間入院することになってしまいました。
今思い返せば、朝診察した先生の心には「どうせ子供の腹痛だ」「大したことないだ
ろう」という先入観があったのかもしれません。このように過去の経験や知識により、
かたよった思い込みでものごとを判断する「心のクセ」を「業の意識」といいます。
私たちは、年齢をかさね人生経験をつむことで、人生の味わいはさらに深くなってい
きます。しかし、同時に「業の意識」がふくらみ、ものごとの判断や対処のしかたを
せばめていないかどうか、立ち止まって考えることも必要です。
『素心学要論』(モラロジー研究所)より
私たちは過去の経験や知識をもとに、考え行動します。トレーニングを重ねて技術を
身につけたり、学んだ情報をもとに新しいことにチャレンジすることは「業の意識」
のなせることで、生きていく上で大切な意識です。しかしこの意識が過度にはたらく
と「心のクセ」として、あの時こうだったから、またどうせこうなるに違いないと、
「しみついた考えで、すべてをはかろう」としてしまいます。そしてその傾向はだれ
にでもあるのです。しかしあの日は朝受診したにもかかわらず、両親は私の願いを受
け入れて、再度病院に連れて行ってくれました。それはとても「有難いこと」に違い
ないと、今でも感謝しています。ありがとうございます。
0コメント